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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)4953号 判決 1998年9月18日

A事件原告(以下「原告」という。)

川畑勝

B事件原告(以下「原告」という。)

東堤峰勝

右両名訴訟代理人弁護士

野仲厚治

被告

ファイブワン商事株式会社

右代表者代表取締役

中野義雄

右訴訟代理人弁護士

上田潤二郎

主文

一  被告は、原告川畑勝に対し、五〇〇万円及びこれに対する平成七年八月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告は、原告東堤峰勝に対し、五一二万〇七七六円及びこれに対する平成八年七月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

四  訴訟費用は、原告川畑勝と被告との間ではこれを三分し、その一を被告の、その余を原告川畑勝の負担とし、原告東堤峰勝と被告との間では被告の負担とする。

五  この判決は、第一項及び第二項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一原告の請求

被告は、原告川畑勝(以下「原告川畑」という。)に対し、一四七五万五二〇〇円及びこれに対する平成七年七月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告東堤峰勝(以下「原告東堤」という。)に対し、五一二万〇七七六円及びこれに対する平成八年六月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

第二事案の概要

本件は、原告らが被告に対し、退職金の支払を求めるとともに、原告川畑が被告に対し、その所有する被告株式の売買代金の支払を求めた事案である(なお、以下証拠を摘示する場合は、特に断らない限りA事件のものを指すこととし、B事件の証拠を摘示する場合は、「甲B一、乙B一」等と表示することとする。)。

一  前提となる事実(いずれも、当事者間に争いがないか、証拠〔<証拠略>、いずれも枝番を含む。〕又は弁論の全趣旨によって容易に認められる事実である。)

1  被告設立に至る経緯

昭和三九年五月、訴外浪速産業株式会社(以下「浪速産業」という。)の一部門と既製服の製造販売業者四社が合同してファイブワン株式会社が設立されたが、昭和四〇年七月、そのうちの販売部門のみが独立してファイブワン商事株式会社(被告とは登記簿上別会社であり、以下「旧ファイブワン商事」という。)が設立された。旧ファイブワン商事は、昭和四三年七月、ファイブワン株式会社に吸収合併されて消滅したが、昭和五二年七月二五日、新たに、再びファイブワン商事株式会社と称する被告が設立され、現在に至っている。なお、ファイブワン株式会社は、昭和五三年一一月に解散し、昭和五四年二月五日清算結了により消滅した。

被告の代表取締役は、設立当時は中野種夫であったが、同人は昭和五三年一〇月三〇日付けで辞任し、同日松浦博(以下「松浦」という。)及び原告川畑が代表取締役に就任した。その後、昭和五八年八月二五日、右両名が辞任し、代わって浪速産業の代表取締役である中野義雄が被告の代表取締役に就任した。

2  原告川畑及び原告東堤の経歴

原告川畑は、昭和三一年三月一日、浪速産業に雇用され、昭和四〇年七月旧ファイブワン商事が設立されたのに伴い、浪速産業を退職し、同年八月四日、旧ファイブワン商事に従業員として雇用された。その際、原告川畑は二五万円の退職金を受領した。その後、原告川畑は、昭和四三年七月に旧ファイブワン商事がファイブワン株式会社に吸収合併されたのに伴い、同社の従業員となったが、昭和五二年七月二五日、被告が設立されたのに伴い、被告に移籍し、同時に被告の取締役となった。原告川畑は、昭和五三年一〇月三〇日、松浦とともに被告の代表取締役となり(同年一一月四日登記)、昭和五八年八月二五日までその地位にあり、その後も常務取締役の地位にあったが、平成七年七月七日取締役会において職務の執行及び報酬支払を停止され、平成八年一月二九日の臨時株主総会において取締役を解任された。

原告東堤は、昭和三五年頃浪速産業に雇用され、昭和四〇年七月旧ファイブワン商事が設立されたのに伴い、浪速産業を退職し、同年八月頃、旧ファイブワン商事に従業員として雇用された。その後、原告東堤は、昭和四三年七月に旧ファイブワン商事がファイブワン株式会社に吸収合併されたのに伴い、同社の従業員となったが、昭和五二年七月二五日、被告が設立されたのに伴い、被告に移籍し、平成八年六月二〇日被告を退職した。なお、原告東堤は、退職前一年六か月間は病気休職していた。

3  原告川畑が被告の株式を取得した経緯

昭和五三年一〇月三〇日、社内の内紛により、被告の代表取締役であった中野種夫が退き、原告川畑及び松浦が代表取締役に就任したが、その頃、それまで被告の株式を所有していた中野種夫らから、原告川畑、伊藤守(以下「伊藤」という。)、竹林幸雄(以下「竹林」という。)、原告東堤ら計一〇名の被告取締役及び従業員らに対し、被告の株式が譲渡され、その際、原告川畑は二〇〇〇株、原告東堤は五〇〇株を取得した。そして、右取得代金として、原告川畑は二〇〇万円、原告東堤は五〇万円(いずれも、額面一〇〇〇円に取得株式数を乗じた金額である。)を支払ったが、これらは、実質的には、被告に対する出資として取り扱われた。

その後、平成元年八月二六日に株式配当が行われたことにより、原告川畑の所有する被告の株式数は五〇〇〇株、原告東堤の所有する被告の株式数は一二五〇株となった(以下、原告川畑の所有する被告の株式五〇〇〇株を「本件株式」という。)。

二  原告の主張

1  被告における従業員の労働条件に関しては、全て浪速産業の就業規則が適用されていた。

すなわち、被告においては、従来は独自の就業規則が存在したが、平成四年四月頃、浪速産業において新しい就業規則及び給与規定が作成された際、これを被告にも適用することとし、そのころから、浪速産業の就業規則及び給与規定をまとめて一冊にして厚紙の表紙を付け、ファイブワン商事株式会社のゴム印を押したものを、被告の就業規則として使用していた。この就業規則及び給与規定は、スチール棚に保管され、従業員が誰でも見ることができるようになっていた。

したがって、退職金についても、浪速産業の給与規定中の退職金に関する規定が適用される。

2  登記簿上、被告は昭和五二年に設立された会社であるが、原告らは、昭和四〇年に旧ファイブワン商事に入社したときから、一貫して「ファイブワン」という会社に勤務しているとの認識であり、その後ある会社を退職したとか、新会社に入社したなどという認識は全くなく、一切の業務は継続して行われ、会計処理もすべて継承されていた。会社の吸収合併や新設等は、原告ら従業員とは何ら関係のないところで、登記簿上行われていたに過ぎない。

したがって、退職金を算定する基礎となる勤続年数は、昭和四〇年の旧ファイブワン入社時から計算すべきである。被告が、旧ファイブワン商事及びファイブワン株式会社と被告との同一性を否定するのは、従業員の退職金をカットするための方便であって、このような主張は法人格を濫用するもので、許されない。

3  原告川畑は、昭和五二年七月に取締役に就任したが、従来に比べ、若干責任は重くなったとしても、業務内容は大きくは変わらず、社長の指揮監督下に労務を提供していたのであるから、なお被告の従業員たる地位を兼ねていたというべきである。また、原告川畑は、登記簿上昭和五三年一〇月三〇日から昭和五八年八月二五日まで被告の代表取締役に就任したこととされているが、このことは当時本人にも知らされておらず、全く形式的なものであった。原告川畑は、引き続き浪速産業の社長及び松浦の指揮命令下において、日常業務を遂行していたのであって、取締役会等に出席したこともなく、まして会社の代表権を与えられて行動したような事実は全くないのであるから、原告川畑は、代表取締役在任中も被告の従業員の地位を失っていないと解すべきである。

4  原告川畑と被告は、昭和五三年一〇月三〇日頃、原告川畑が被告の株式を取得して出資するに際し、将来原告川畑と被告との間の雇用契約が解消し、かつ原告川畑が役員を退任した際には、被告が右株式を券面額で買取る旨合意した。

右合意に基づき、平成七年八月一〇日、原告川畑と被告の間に、本件株式を被告が買取る旨の売買契約が成立し、原告川畑は、被告に対し、右株式を引き渡した。したがって、被告は、原告川畑に対し、売買代金五〇〇万円を支払う義務がある。なお、このとき、原告川畑が被告に与えた損害の填補として本件株式を無償で譲渡する旨の合意ないしは代物弁済契約が存在した事実はない。

なお、仮に被告主張の代物弁済契約が成立しているとしても、右契約は錯誤により無効である。仮にそうでないとしても、詐欺を理由に取り消す。

5  原告川畑は、昭和四〇年八月に入社し平成七年六月に事実上退職するまで二九年と一〇か月間在籍した。同原告の退職時の本給は月額四五万五〇〇〇円であり、被告において適用されている浪速産業の給与規定によって退職金を計算すると九七五万五二〇〇円となる。

原告東堤は、昭和四〇年八月に入社し、平成八年六月二〇日に退職するまで、休職期間を除き二九年と四か月間在籍した。同原告の退職時の本給は月額二六万七二五〇円であり、右給与規定によって退職金を計算すると、五一二万〇七七六円となる。

三  被告の主張

1  被告は、小規模の企業で、従業員の数も一〇人に満たないため、就業規則を作成しておらず、当然退職金規定も存在しない。浪速産業は、資本関係、経営、業態の異なる全く別の会社であり、その規定が被告の従業員に適用されるなどということは、あり得ない。

2  被告は、昭和五二年七月二五日に設立された株式会社であり、それ以前の事情は被告とは無関係である。したがって、それ以前に原告らが他の会社に勤務していた期間を被告における勤続年数に加算することはできない。

3  原告川畑は被告の設立当初から営業担当の取締役であり、また、昭和五三年一〇月三〇日には代表取締役に就任し、昭和五八年に代表取締役を退いてからも営業担当の取締役として会社の営業全般を統括していた。したがって、原告川畑は、当初から被告の従業員ではなかったのであって、従業員であることを前提とする退職金の請求は失当である。

4  原告川畑が被告の株式を取得して出資した際に、同原告が主張するように、退職時に株式を額面で買い戻す旨の合意がされた事実はない。仮にかかる合意がされたとしても、これは商法に違反し、無効である。

原告川畑は、平成七年八月一〇日、本件株式を、自己の不正行為により被告が被った損害の填補のため、あるいは、その損害賠償債務の代物弁済として、無償譲渡した。

四  争点

1  被告に退職金規定が存在するか。

2  被告に退職金規定が存在するとした場合、勤続年数をいつから計算すべきか。

3  原告川畑は、被告の従業員たる地位を有していたか否か。

4  原告川畑と被告との間に、本件株式を被告が額面で買い取る旨の売買契約が成立したか否か。

第三争点に対する当裁判所の判断

一  争点1(退職金規定の有無)について

1  証拠(<証拠・人証略>、原告川畑本人、原告東堤本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、被告においては、従業員の労働条件については、浪速産業と同一の内容の就業規則及び給与規定が適用されていたことが認められる。

被告は、これを否定し、(人証略)がこれに沿う証言をする。しかしながら、原告川畑本人の供述は、平成四年四月頃、浪速産業の就業規則が改正された際、同社から就業規則をもらい、表紙を付け替えたものをスチール棚に保管していたという具体的なものであって、これは原告東堤の供述ともほぼ一致する(原告東堤は、社名部分に紙を貼って被告社名が記載してあった旨供述し、原告川畑の供述と若干の食い違いはあるものの、この程度の記憶違いが生じることは不自然ではない。)。また、被告の定年が六〇歳であること(この事実は<人証略>によって認められる。)及び原告東堤の休職期間が一年半であったことは、いずれも浪速産業の就業規則の規定に合致していること、(人証略)も、被告の従業員の給与や休暇については浪速産業の就業規則に拠っていたことを否定していないこと等に鑑みれば、現実にも被告において浪速産業の就業規則と同様の労働条件が適用されていたことが認められる。これらの事情に照らせば、原告川畑の供述は信用できるというべきである。これに対し、(人証略)の証言は、被告には就業規則がない旨述べるのみで、給与、労働条件等をどのように定めていたのかについては曖昧な証言に終始し、およそ複数の従業員を雇用する株式会社において労働条件等について準拠するものが全くないということは想定し難いことを考えると、その証言はいずれも信用し難いというべきである。

2  右のとおり、被告においては、浪速産業と同一の内容の就業規則及び給与規定が適用されていたというべきところ、退職金に関する規定は右給与規定と一体となっているのであるから、特段の事情がない限り、右給与規定中の退職金に関する規定が、被告の従業員についても適用されるというべきである。

なお、被告において、過去に退職した従業員に対し浪速産業の就業規則に従った退職金が支給されたことを示す証拠はなく、かえって、(証拠略)によれば、竹林には退職金が支給されなかったことが認められる。また、原告東堤本人によれば、原告東堤も、退職時には、被告に対し退職金を請求しなかったことが認められる。しかしながら、過去に退職金が支給された形跡がない、あるいは一部の従業員が退職金請求権があることを認識していなかったからといって、直ちに被告において退職金に関する規定の適用が排除されるものと解すべきではない。

二  争点2及び3(勤続年数及び原告川畑の従業員性)について

1  前記前提事実、証拠(<証拠・人証略>、原告川畑本人、原告東堤本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 原告らは、昭和四〇年七月当時、浪速産業の梅田支店において既製服の販売業務に携わっていたが、旧ファイブワン商事の設立に伴い、浪速産業を退職して旧ファイブワン商事に移籍し、引き続きその梅田支店において販売業務に従事した。浪速産業を退職する際、原告らには、同社から退職金が支給された(その額は、原告川畑については二五万円である。)。

その後、原告川畑は、昭和四一年四月頃本店企画部に異動し、原告東堤は、同年五月頃南支店に異動した。

(二) 昭和四三年七月、旧ファイブワン商事がファイブワン株式会社に吸収合併された際、原告川畑は、同社の生産部の課長となり、昭和四六年頃からは、本店営業部特需課次長として、仕入れ及び販売業務に従事するようになった。原告東堤は、南支店において引き続き販売業務に従事していたが、昭和四四年四月頃からは、本店営業部において販売業務に従事するようになった。

なお、旧ファイブワン商事のファイブワン株式会社への吸収合併によっても、就業場所や業務内容に変更はなかったため、原告ら従業員は、組織変更が行われたという認識は有していたが、社名が変わったことについて特に意識することはなかった。

(三) 昭和五二年七月、被告が設立され、ファイブワン株式会社の販売部門が被告に移転し、原告らもそれに伴って被告に移籍した。原告川畑は、その際被告の本店営業部の部長となるとともに、被告の営業担当の取締役となり、被告における営業部門の最高責任者として、仕入れ及び販売業務に従事するようになった。なお、原告ら従業員には、所属する会社が変わったという認識はなく、原告川畑も、取締役となったことは認識していたものの、社内で昇格したという認識を持ったに過ぎなかった。

(四) 昭和五三年一〇月三〇日、社内の内紛から被告の代表取締役であった中野種夫が辞任し、代わって松浦及び原告川畑が代表取締役に就任した。この頃、被告の取締役、従業員らが被告の株式を譲り受け、計一〇〇〇万円を出資したが、そのとりまとめを原告川畑が行った。

原告川畑は、代表取締役就任後、被告社内では常務取締役の肩書を有し、営業部門の最高責任者として、販売及び仕入れに関する一切の権限を有していたほか、松浦が枚方のファイブワン工業株式会社に常駐していたこともあって、他の従業員の営業日報の点検、とりまとめ、帳簿類の点検及び浪速産業への報告等の職務を担うなど、他の従業員を指揮、監督する立場にあり、被告における日常業務を取り仕切っていた。また、被告が振り出す手形、小切手は、「代表取締役川畑勝」名義で振り出されていた(もっとも、振出権限自体は原告川畑にはなく、松浦及び浪速産業の社長である中野義雄が有していた。)。

原告川畑は、松浦とともに、昭和五八年八月二五日、代表取締役を退き、単なる取締役となったが、それ以降も、常務取締役として、従前と同様営業部門における最高責任者として、他の従業員を指揮、監督し、被告の日常業務を取り仕切っていた。また、被告の従業員の労働条件や処遇に関しても、最終的な権限は代表取締役である中野義雄が有するものの、日常的には原告川畑が責任者として処理していた。

なお、被告においては取締役会が開催されたことはなかったため、原告川畑が取締役会に出席するということはなかった。

(五) 原告川畑は、平成七年六月当時、給与名目の金銭を支給されていたが、その額は、本給四五万五〇〇〇円のみの支給であり、取締役でない従業員と異なり、諸手当の支給はなかった。また、税金及び各種社会保険料の控除を受けていたが、雇用保険には加入していなかった(これに対し、やはり取締役である伊藤は雇用保険に加入していた。)。原告川畑の受領していた金額は、被告内では、代表取締役を除き最も高額であった。

2  以上の事実に基づいて検討する。

(一) 会社組織の変動について

以上の経緯に照らせば、登記簿上は昭和四三年七月と昭和五二年七月に会社組織上の変動が見られるけれども、これらは、いずれも、会社の業務上の都合から、ファイブワングループ内での販売部門の位置付けを替えたというものに過ぎないことが明らかであり、かつ、これらの時期に原告らを含む従業員の就業場所や業務内容に変動をきたしたこともなかったことが認められる。そして、従業員自身もそのような会社の組織変動について知らされていなかったか、又は関心がなかったことは、(人証略)によっても明らかである。また、証拠(<証拠略>)によれば、従業員の社会保険上は、昭和四〇年には浪速産業株式会社から旧ファイブワン商事への事業主変更の手続が取られたが、その後は、事業主変更の手続は一切取られていないこと、原告東堤の給与のうち、勤続給は毎年一四〇〇円ずつ増加しているところ、同人の平成三年三月までの勤続給三万五〇〇〇円、同年四月からの勤続給三万六四〇〇円及び平成四年四月からの勤続給三万七八〇〇円は、昭和四一年から毎年一四〇〇円を加算していった金額と一致することが認められ、これらによれば、被告自身が、従業員の雇用契約上は、昭和四三年と昭和五二年の組織変動を無視して取り扱っていたことが明らかである。

以上によれば、被告における退職金の算定の基礎となる勤続年数は、旧ファイブワン商事入社時から計算するのが相当である。

(二) 原告川畑の従業員性について

(1) 前記認定によれば、原告川畑は、昭和五二年七月被告の取締役に就任したが、従前と業務内容に変化はなく、また、職制上は部長の肩書を有していたというのであるから、当時は従業員を兼務していたと見ることができる。しかしながら、原告川畑は、昭和五三年一〇月三〇日に被告の代表取締役に就任したことによって、従業員の地位を喪失したというべきである。なぜならば、代表取締役は、会社を代表する権限を有する会社の最高機関であって、その地位は本質的に従業員とは相容れないというほかはなく、代表取締役への就任が全く名目的なものである等の特段の事情がない限り、代表取締役と従業員の地位を兼ねることは認められないからである。本件においては、確かに、代表取締役就任の前後を通じ、原告川畑の業務内容に大きな変化はなかったものの、原告川畑は、代表取締役に就任中は、常務取締役の肩書のもと、従業員らの出資のとりまとめをし、自己の名において手形や小切手を発行し、営業部門の最高責任者として他の従業員を指揮監督していたのであるから、全く名目的な代表取締役であったとは到底いえない(なお、原告川畑は、代表取締役への就任を知らなかった旨供述するが、自己の名で手続(ママ)を振り出していたことに照らすと、信用し難い。)。

そして、原告川畑は、代表取締役を退任した後も、引き続き被告の営業部門の最高責任者であるとともに、常務取締役として、日常業務全般にわたり従業員を指揮、監督するなど、被告の業務全般を取り仕切り、従業員の労働条件や処遇に関しても、現場における責任者としてその処理に当たっていたのであって、原告川畑と被告との間で改めて雇用契約が締結されたことを窺わせる事情もないことに鑑みれば、原告川畑は、代表取締役を退任した後も、従業員の地位を兼務していたとはいえないというべきである。

(2) 確かに、原告川畑本人及び原告東堤本人によれば、原告川畑が代表取締役であった時期にも、もう一人の代表取締役であった松浦や浪速産業の中野義雄社長が経営上の最終的決定権を有していたことが窺われ、原告川畑が代表取締役を退いた後は、被告の代表取締役でありかつ浪速産業の代表取締役でもあった中野義雄が経営上の最終的決定権を有していたことが認められるけれども、それは、取締役間における事実上の力関係又はグループ会社内における支配関係の反映に過ぎないというべきであって、このことから、直ちに原告川畑が被告の従業員であったということはできない。また、原告川畑が取締役会に出席したことがないことも、そもそも被告においては取締役会自体開催されたことがないのであるから、原告川畑の従業員性を否定する妨げにはならないというべきである。さらに、原告川畑は、被告から給与名目の金銭の支給を受けており、社会保険や税金の控除もされているが、これらの事実から直ちに従業員性が肯定されるとはいえず、かえって、原告川畑が雇用保険に加入していなかったことは、他の取締役や従業員と異なった取扱いがされていたことを示すものである。なお、(人証略)によれば、同様に取締役である伊藤は従業員の地位を兼ねていることが窺われるが、弁論の全趣旨によれば、伊藤は社内では営業部長の肩書を有していたのに対し、原告川畑は、職制上の肩書を持たず、一貫して常務取締役の肩書を有していたのであるから、両人の間には、被告社内における地位に明らかに差があったというべきであって、伊藤が従業員を兼務しているからといって、原告川畑についても同様に解さなければならないものではない。

3  以上によれば、原告川畑は被告の従業員であるとはいえないから、同原告の退職金請求は理由がなく、原告東堤の退職金請求は理由があるので、以下原告東堤の退職金の額について検討する。

前記認定事実、証拠(<証拠略>)及び弁論の全趣旨によれば、原告東堤が休職する直前である平成六年一二月の同原告の本給が二六万七二五〇円であること、原告東堤の勤続年数が三〇年一〇カ月(休職期間を除くと二九年四か月)であること、これらを被告の退職金規定(浪速産業の給与規定中に定められている退職金に関する規定)に当てはめれば、自己都合退職の場合の退職金は、五一二万〇七七六円となることが認められる(なお、正確に計算すると五一二万三一八二円となるが、これよりも低額である原告東堤の計算を採用する。)。

したがって、原告東堤が被告に請求することのできる退職金の額は、五一二万〇七七六円である。そして、(証拠略)によれば、退職金は退職後一か月以内に支払うものとされているから、遅延損害金の起算日は、原告東堤の退職後一か月が経過した平成八年七月二一日である。

三  争点4(本件株式を額面で買い取る旨の売買契約成立の有無)について

1  前記前提事実、証拠(<証拠略>、原告川畑本人、原告東堤本人)及び弁論の全趣旨を総合すれば、昭和五三年に中野種夫らから原告らに対し被告の株式が譲渡された際、被告は、株式を取得する者に対し、退職時には額面で清算するから安心して出資して欲しい旨説明したこと、平成元年八月の株式配当により、原告川畑の持株数は五〇〇〇株、原告東堤の持株数は一二五〇株となったこと、平成七年八月一〇日頃、被告は、原告川畑が横領背任行為により被告に多額の損害を与えたと考え、同原告との間で同原告所有不動産の代物弁済契約書を作成したが、その際、本件株式も被告に譲渡されたことが、それぞれ認められる。

また、証拠(<証拠略>、原告東堤本人)及び弁論の全趣旨によれば、被告は、原告東堤が退職する際、同人が所有する被告の株式を額面(一株一〇〇〇円)で買い取り、竹林の退職時にも、同人が所有する被告の株式を額面で買い取ったこと、被告の従業員であった宮本光男、小松啓孝及び木田秀子についても、それぞれ退職時に被告又は浪速産業がその所有する被告の株式を額面で買い取ったことが認められる。

2(一)  原告川畑は、本件株式の譲渡は、本件株式を額面で買い取る旨の売買契約であると主張するのに対し、被告は、これを否認し、原告川畑の不正行為によって被告が蒙った損害を填補するために無償で譲渡されたもの、あるいは代物弁済契約であると主張するので、検討する。

確かに、本件株式の譲渡が、原告川畑が被告から横領背任の疑いをかけられていた時期において、前記不動産の代物弁済契約書の作成と同一期日に行われていること、原告川畑も、(証拠略)(原告の陳述書)において、本件株式の譲渡は、単価訂正の未処理により被告に迷惑をかけたかもしれないとの気持ちから、その清算のために行ったものであると述べており、同(証拠略)には、被告からはっきりした数字が出れば、出資金を損害の填補に当てるつもりであったとの趣旨の記述もあること等を考慮すると、本件株式の譲渡は、原告が主張するような単純な売買契約であるとは考えられない。しかしながら、一方で、被告が原告川畑所有不動産については一応同原告の債務を特定した上で代物弁済契約書を作成しているのに対し、本件株式については全くそのような書類を作成していないこと、(証拠略)によれば、原告川畑の意思は、あくまで出資金と損害とを清算するというものであって、本件株式を無償で引き渡すというものであったとはいい難いことに照らすと、これが代物弁済契約又は無償譲渡(贈与契約)であったともいい難く、結局、本件株式の譲渡は、売買代金を被告の蒙った損害と清算する(すなわち、損害賠償債務と売買代金債権を相殺する)旨の特約が付された売買契約であったと解するのが相当である。

(二)  ところで、前記認定のとおり、被告が、本件株式取得時に、退職時には額面で清算するから安心して出資して欲しい旨説明したこと、実際に、被告は退職した多くの取締役や従業員から株式を額面で買い取っていることに鑑みると、本件株式についても、その譲渡代金は、額面金額を基準とした計算によることが当然の前提になっていたというべきである。したがって、清算の対象となった被告の損害額が立証されない限り、被告は、原告川畑に対し、本件株式の売買代金として、五〇〇万円(額面金額一〇〇〇円の五〇〇〇株分)の支払義務を負うといわなければならない。そして、本件では、原告川畑が被告に与えた損害額の立証はなく、かえって、(証拠略)によれば、別件の判決において、原告川畑が被告の主張するような横領背任行為をした事実はないことが認定されているのであるから、結局、被告は、原告川畑に対し、本件株式の売買代金として、五〇〇万円を支払わなければならないというべきである(ただし、遅延損害金の起算日は平成七年八月一一日からとなる。)。

四  結論

以上の次第であるから、原告らの請求は、原告川畑の本件株式の売買代金五〇〇万円の請求及び原告東堤の退職金請求のみ理由があるから認容し(ただし、遅延損害金の一部を除く。)、その余は棄却することとする。

(裁判官 谷口安史)

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